高松高等裁判所 昭和50年(く)5号 決定 1975年8月08日
少年 D・H(昭三三・二・二二生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告申立の理由は、法定代理人父D・H作成名義の抗告状に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
所論は要するに、本件各非行は、少年の友人Aが犯したもので、少年が犯したものではないから、原決定には重大な事実の誤認がある、というのである。
そこで、記録(但し、少年調査記録を除く。)並びに当審における事実取調の結果を綜合して按ずるに、少年の原審審判廷における供述、司法警察員に対する供述調書二通、Aの司法警察員に対する供述調書、佐○木○一作成の被害届、司法警察員作成の酒酔い鑑識カード及び実況見分調書を綜合すると、本件各非行事実を肯認するに十分である。少年は、当審において、本件各非行は、すべて少年の友人Aの犯行によるものであつて、同人が窃取した本件自動車を運転中事故を起こし受傷したので、少年は同人を気の毒に思い、取調に当つた警察官に対し、Aに代り、自己が犯人であると名乗り出たもので、少年の犯行によるものではない旨弁解する。しかし、身代り犯人として名乗り出る動機として少年の主張する事情はいかにも不自然であるばかりでなく、若し、少年の弁解するとおりであるとすれば捜査並びに原審における調査審判の過程を通じ弁解の機会はしばしば与えられていたのであるから少年において本件の真相を明らかにし少年の犯行ではない旨主張することは十分可能であつたのに少年はそのような弁解を一切していないのであつて、少年の右態度は不可解というほかはなく、容易に納得し難いところである。しかも、当時少年と行動を共にしていたAは少年に比較して著しく酩酊し(前記Aの司法警察員に対する供述調書)、Aにおいて自動車を運転することは殆んど不可能に近かつたと考えられ、さらに、少年は、取調に当つた警察官に対し、本件各非行に至る経緯、本件非行の態様殊に本件自動車を窃取し、これを運転した者以外は容易に知り得ない筈の自動車の「キイ」の入れてあつた場所とか、窃取した本件自動車を運転中に起こした事故の状況等を詳細に供述している(前記少年の司法警察員に対する供述調書二通)ことに徴すると、少年の前記弁解は容易に信用し難くとうてい採用することができない。したがつて、原決定には所論のような事実誤認のかどは存しない。
よつて、本件抗告は理由がないから、少年法三三条一項により、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小林宣雄 裁判官 福家寛 上野利隆)
参考 抗告申立書
抗告の理由(昭五〇・五・七付法定代理人父)
一、保護観察に付す上記の事を早急に実行すべく○○町○○○××番地○田○夫氏(D・Hは工事少く一時帰休中)に復職其の他細部依頼の為電話を致した所もうしばらく自宅待期を申し受けました。
一、復職細部御願の為四月二九日実兄七週年法事に○○町○田○夫氏の家に行きました右の仕事の事を御願いしました所仕事量も少く六、七月頃にならねば大きな仕事も受けられぬのでもうしばらく自宅に待期する様の話でした。○夫君の嫁さんにD・Hの世話なつた御礼を言つていた所D・H君の荷物を持帰つてはと再三申されるので事情を聞きました所母が警察の世話になつた前科者を家に入れて世話していれば田舎の事でもあり噂も広がり又家に嫁に出さねばならぬ娘も居る事だからと言つて毎日の様に若嫁につらくあたるのです私はもうこれ以上よう御世話出来ないと言はれました。保護者としましてはこれ以上御願する事も出来す荷物を持帰りました。
一、○○に帰宅早々D・Hに一部始終話しました。
D・Hが五月一日早朝に私の部屋に来り僕は運転しなかつたんだA君が運転したんだと言いました、それから一部始終を話し出しました。一月七日夜十一時頃四人位でA君の所て酒を呑んでる所D・Hが行き間もなくA君の友達が帰り二人で酒を呑んだ十一時四十分頃家を出て○○○港の方え散歩に出た港の広場にトヨタバンがあつたのでA君が運転席に乗りD・Hが助手席に乗り約三〇〇米位行つた廻り角の肉店近くなつた時右に方向を変えるべきなのにおくれ店の勝手入口の戸に当てたA君は頭部鼻を軽く打撲し言話が不自由の為かわいそうになり警察官が君が運転していたのかと言はれたのではいと言つた。
一、高松家庭裁判所の取調べにも途中で変更すれば罰せられると思い込み変更をしなかつた、右の通り相違御座居ません。
抗告の申立をします
右保護者 D・Z